Hindsight's 20/20 (はいんどさいつ・とぅうぇにーとぅうぇにー)

人生はしあわせになるためにある!をモットーに、その方法を模索して考えたことを書きます。

天才にはなれなかった

クリエイターになりたかった。

漫画家、小説家、音楽家、イラストレーター、シナリオライター画家・・・
そういう職業の総称としてのクリエイター。
 
あなたも、子供のころ、学生のころ、そういう職業にあこがれたことはりませんか?
ぼくはあります。
それどころか、今でも今の仕事にうんざりするたびに、
そういう仕事にあこがれて、脱サラしてそういった仕事に就く妄想してます。
 
小学生低学年の頃は、藤子不二夫や手塚治虫にあこがれて、漫画家になりたかった。
けど、絵を描く才能がないことに気付いてやめた。
一緒に漫画家を目指そう!と描きはじめた友達は、始めて1年くらいで
小学校低学年にして大人顔負けの絵を描くようになってて、
才能の差というものを目の当たりにさせられた。
その後ぼくが転校して疎遠になり、その友達が今どこで何しているのか
知らないけど、彼ならプロの漫画家になれたのではないか。
ばんちゃん、元気ですか。
 
小学生中学年の頃は、北杜生のどくとるマンボウシリーズにはまって
(今思うととんでもないマセガキだが)小説家になりたかった。
ちょうどそのころ学校で、作文の宿題が出た。
創作のお話を書くというもので、先生は「面白いお話を期待しています」と言った。
次の国語の授業で、全員みんなの前で発表することになっていた。
面白かった人の作品には手を挙げて、その数で優劣を付けるという、
今思うと大変下品なシステムも予告されてた。
はりきってコメディ短編を書いた。
四半世紀くらい前のことなので、どんな内容だったかはさすがに覚えていないし、
所詮小学生の作文なので、たかが知れたものだっただろうけど、
「これならクラス中大爆笑間違いない!」という渾身の作品ができた。
当日、いくつかのパッとしない、手がまばらにしか挙がらない発表のあと、
いよいよぼくの発表の番がきた。
満を持して発表。
狙いどおり、ぼくの朗読でドッカンドッカン爆笑するクラスメイト。
終わった後の採点タイム。一斉に挙手するクラスメイトたち!
「やった!」
充実感に包まれ、ぼくはこれからも面白いお話を書き続けるぞ!とそう思った
その瞬間、担任の先生がこう言った。
「みんな、いっぱい笑って面白かったと思って手を挙げているのでしょうけど
笑えたからといって面白いお話というわけではありません。面白いというのは、
もっといろいろ考えさせる、深いお話のことです。ヤサカくんのは、面白いとは
いいません。」
それを聞いて、サーッと手を下げていくクラスメイトたち。
ぼくの点数は、たったの1点になった。
まだまだ大人の、特に先生のいうことはゼッタイという年齢。
それでも、先生におもいきり睨みつけられながらも、
「誰が何と言おうと、おれは面白かった!」といわんばかりに、先生を睨み返しながら
ますますまっすぐビシッと手を挙げ続け、下ろそうとしなかったイノウエくん、
授業後の休み時間、「オマエのがゼッタイ一番おもしろかった」と言ってくれた。
あのときは本当にありがとう。キミの漢気に救われたのはこのときだけではありませんでした。
ちなみに最優秀賞は、特に面白くもなかった発表をした先生お気に入りの女の子になった
その子の発表後、まばらにしか手が挙がらなかったのを見て、またしても先生登場。
「先生、感動しました!こういうお話が面白いお話というのです!
その瞬間、イノウエくんとぼく以外の全員の手が挙がるクラス。
なんだこれ。
こんなことがあってもまだ書き続けられるほど、ぼくは強い子供ではありませんでした。
ぼくが学校の先生というものに不信感を持ったのはこの頃からですが、それはまた別のお話。
 
小学校高学年の頃は、吉川英治山岡荘八にはまって歴史小説家になりたかった。
新しい表現で書き上げる、ぼくだけの三国志が書きたい!
などと思い、ちょっとファンタジー要素を入れながら劉備張飛関羽が出会う序章まで
書いてみた。われながらワクワクするデキ!ぜひ誰かの感想を聞いてみたい!
母親に見せてみた。
母親いわく
「非現実的でありえない。こんなもの書いてないで勉強でもしなさい。」
ファンタジー要素に対して非現実的って・・・
なんでこの人なんかに見せてしまったんだろう・・・
これも才能がないってことなんだろう。
天才的な才能があれば、非現実的であろうとなんだろうと、
有無を言わさず読んだ人を引き込む力が物語りに宿るはず。
ああ、そうか。
勉強しろってのは、オマエには才能がないから小説はやめろってことか。
やる気をなくしてソッコーで断筆。
弱いよ、ぼく。弱すぎるよ。
 
中学生になると、音楽に行った。ボウイのホテイさんにあこがれて、ギタリストになりたかった。
その後、エディ・ヴァンヘイレンやエクストリームのヌーノ、ヴァイなどの存在を知って、
ますますそういった天才たちにあこがれた。
 
そして、これがちょっと長かった。大学2年くらいまで続いてしまった。
大学の音楽サークルでは、スーパー速弾きギタリストとして名を馳せていた。
もっと頑張れば、プロ・ギタリストになれるんじゃないか・・・
そんなことを考えながら、大学の授業はほとんどサボってギター弾いてた。
でも、大学3年になるころ、そう、周りがそろそろ就職活動を始める頃に、
自分はこのままでいいのか、と考えた。
そして気付かされた。いや、実はとっくに気付いていたのだけど、見ないフリをしていた。
自分はエディやヌーノやヴァイみたいには、どう頑張ってもなれない、と。
いくらヴァイの超絶バカテクプレイをコピーできたとしても、ただのコピーだ。
それで周りに「ウマイ!スゴイ!」といわれても、物マネがウマイに過ぎない。
それを最初に生み出す才能が自分にはない。
 
事ここに至って、ぼくはあこがれの、あこがれになりうる職業を目指すことを断念した。
クリエイター的なものは、ぼくには「才能」がない。
「真っ当」に就職する生き方しか、ぼくにはない。
ぼくは天才ではないのだから、仕方がない。
 
こうして、結局今は、国家資格があること以外はごくフツーの、
「仕事辞めたい」と日々つぶやきながらイヤイヤ働くやる気のないサラリーマンをやっています。
 
そして、最近思うのです。
そうやって「才能がない」とあきらめてきた、憧れの職業たち。
本当に、その職業に就くのに、そんな天才的な才能なんて必要だったのかな、と。
 
次回に続く。
 
ヤサカ