Hindsight's 20/20 (はいんどさいつ・とぅうぇにーとぅうぇにー)

人生はしあわせになるためにある!をモットーに、その方法を模索して考えたことを書きます。

行動選択の自由

ぼくは、「しあわせ」とは、自由であること、そして充足感があることだと思っています。
 
前回は、時間的な自由が自由の基本であり、しあわせの前提であって、
しかも、この時間的自由は経済的自由によって拡張できる、という話をしました。
 
しかし、これは必要条件であって、十分条件ではありません。
 
おなじみ、極端な例を挙げると、
これからしあわせになりたいという人が、
幸運に恵まれ、働かなくてもよいくらいの大金を手に入れた、
これからは何をやっても自由だとなったとして、
しかし何をすればいいか思い浮かばず、
毎日テレビ見てネットサーフィンして一日が過ぎていく。
時間的自由、経済的自由があったとしても、これでしあわせになれるんでしょうか。
ぼくにはそうは思えませんが。
 
これはあくまで極端な例なので、「働かなくてもよいくらいの大金」なんか
自分は持っていないので関係ないなんて思わないでください。
働いていたとしても、誰にでも自由な時間はあるはずであり、
その時間をどう使うかでしあわせ度は相対的に上がるはず、という話ですので、
関係ない人などいません。
あと、超絶ブラック企業に勤めてて、
「いや自由な時間なんて全くないケド?」
なんて人は、そこでの仕事が天職で、お金がたくさんあったとしても
そこで同じように働くよ、というのでもない限り、さっさと辞めてください。
どう考えても不幸でしかありませんし、ほかにもっとマシな選択肢があるはずです。
 
話がズレました。
 
自由というのは、たくさんの行動の選択肢から、より好きなもの(充足感を得られるもの)を
選ぶことができることであると考えます。
経済的自由で拡張できる時間的自由とは、
不本意な選択肢(やりたくもないが生活のためにやらざるを得ない仕事など)を
強制されないという消極的な自由でしかなく、前提かつ必要条件ではあるけれど、
十分条件ではないというのは、つまりそういうことです。
 
充足感を求めて行動し、しあわせを得るためには、多くの価値ある行動の選択肢を
探求し、増やしていかなければなりません。
 
自分は何が好きなのか。
 
何がやりたいことなのか。
 
どういったことに充足感を感じるのか。
 
日頃から、こういうことを意識して、今はまだ少ない自由な時間であっても、
少しでもしあわせを感じられる行動の選択をしたいですね。
 
余談ですが、こういう意識が全くない人は、お金があってもしあわせになれない人だと思います。
宝くじに当たって突然大金を手にした人が、結局、より不幸になってしまうという話は、
そういう人の話なのでしょう。
しあわせのための選択肢を増やすことをこれまで怠ってきたため、消極的な自由は手に入れても、
それ以上にどう使っていいかわからず、ロクでもないことに使ってより不幸になってしまう。
よく聞く話です。
 
強すぎる力は、人を幸福にもするが不幸にもします。
そんなようなことを、ポムじいさんも言ってました。
 
 
 
ヤサカ